合唱劇「カネト」をうたう合唱団 団の紹介

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合唱劇「カネト」

飯田線中部の前身「三信鉄道」の建設時に、測量技師・現場監督を務めた、アイヌの技術者「川村カネト(川村カ子ト)」氏の生涯を題材とした合唱劇です。

制作のきっかけは、1991年、豊橋市の市民合唱グループで合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」にとりくんだとき、作曲家(当時:数学教師)の藤村記一郎さんに「カネト−炎のアイヌ魂」(沢田猛著:ひくまの出版)を紹介したことからでした。
カネトさんの生き方に感動した藤村さんは、この作品を合唱劇にできないかと、さっそく行動を起こしました。
その後、さまざまな事情から創作が中断しましたが、飯田線全線開通60周年にあたる1997年に創作を再開。ほぼ毎月1回の例会を開き、さまざまな学習討論を重ね、何度もの書き直しを経て、1998年11月に1年をかけて台本完成へこぎつけました。

この合唱劇は
「すべての生命が支え合い生きる地球」
「すべてのひとびとがさまざまな違いを認め合い、ともに生きる社会」
「夢と希望、人間の誇り、歴史の真実」
……さまざまな点から、今を生きる私たちにとって大切な内容を投げかけています。


合唱劇「カネト」をうたう合唱団
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合唱劇「カネト」を飯田線沿線の各地で公演しようと結成された、愛知県三河地方に拠点を置く、大人と子どもの合唱団です。
2000年11月、合唱劇「カネト」を豊橋市と豊川市で初公演しました。
豊橋・豊川をはじめ多くの市民公募によって集まった140人の団員が毎週練習を重ね、約1年の歳月を要しました。
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その後も合唱団は解散せず練習を続け、2002年3月から新城市での公演に向かって歩みだしました。
この新城公演には、新城市周辺の鳳来町・作手村・東栄町の人たちや、遠方から飯田線愛好家の人たちも加わって新たな合唱団を組織し、やはり1年間の練習を要しました。
そして、2003年2月、総勢110人あまりの公演が実現したのです。
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新城公演後も「カネトを飯田線沿いに」を合言葉に、各地で30分程度の小公演を行なって普及に努めました。
天竜峡の人たちとの出会いにより、ようやく2004年10月、作品の主要舞台である飯田市天竜峡での公演が、地元合唱団との合同演奏という形で実現しました。
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合唱劇「カネト」飯田公演
そして、飯田線全線開通70周年を迎える記念すべき2007年、10月には飯田市文化会館ホールでの飯田公演、11月には愛知県勤労会館大ホールでの名古屋公演が実現し、大成功をおさめました。
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合唱劇「カネト」名古屋公演
飯田公演、名古屋公演、どちらも100名規模の合唱で、現地の実行委員会と、合唱劇「カネト」をうたう合唱団のコラボレーション公演となりました。
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飯田はその後「飯田カネト合唱団」として、学校公演など地域に根づいた活動が継続しています。
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2008年6月には、私たちの原点・豊橋市で東三河公演を開催しました。
名古屋や飯田で歌った仲間も加わり、120名の合唱団員と満員の観客のみなさんとともに、合唱劇「カネト」のこれまでの集大成にふさわしい、感動の舞台を創ることができました。
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合唱劇「カネト」旭川公演
さらに2008年7月には、カネトさんの故郷、北海道旭川市での公演がついに実現しました。
東三河公演の終了からわずか1ヶ月の、短い準備期間で練習をこなし、夢にまでみた北海道へ上陸。
旭川在住の「旭川カネト合唱団」のみなさんも加わり、180名規模の合唱団と超満員の観客とともに、熱気あふれる舞台となりました。新聞やテレビなどでも数多く紹介されました。
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さて、こうして2年続きのカネトイヤーを終えた私たち 合唱劇「カネト」をうたう合唱団 は、新たな年を迎え、基本に立ち返り、辰野を目指して飯田線北上を再開します。
さしあたっては、三遠南信の一角の遠州(静岡)佐久間での公演を、一つの目標にすすめていきたいと思います。
今年もさまざまな活動を通して、合唱劇「カネト」を広めていきたいと思いますので、みなさまなにとぞご支援のほどお願いします。
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