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ここは、北海道、旭川。
大雪山の頂にはまだ雪が残り、うっすらと霞んでいます。
柔らかな草木の芽が出はじめた原野を走ってきたのは、カネトと金次郎。
「待ってよう、カネト……」
「金次郎、遅いぞ!早く早く!」
二人がいちもくさんに土手をはい上がっていくと……
ポー!ダッダッ シュッシュッ ダッダッ シュッシュッ -
真っ黒な蒸気機関車、SLです。
「すごいなー。大きいなー。鉄の化け物みたいだ……よし決めたぞ!」
「何を?」
「学校を卒業したら鉄道の仕事をするんだ!」
「おれも!」
「よし!金次郎、大きくなったら一緒に鉄道の仕事をしよう」
二人の少年の瞳はキラキラと輝いていました。
カネトと金次郎はアイヌでした。アイヌとは、大昔から北海道の豊かな自然の中で、魚やけものを捕って暮らしてきた民族です。 -
けれど明治時代にはいり、日本から大勢の人々が北海道に渡り、 アイヌの人たちは住むところを制限されたり、生活の糧だったさけ漁を禁止されたりしました。
本州から来たシャモ(アイヌの人たちは本州から来た日本人のことを シャモとよんでいました)に馬鹿にされ、つらいめにもあっていました。カネト少年も、またいじめられたのです。
「クモ君、また来たよ。きみは強いね。いつも一人でいても平気なの?寂しくないの?僕はだめさ。教室ではいつもひとりぼっちなんだ。 もう少しここにいさせてね」 -
カネト少年が学校の縁の下に逃げ込んでどのくらいたったでしょう。
外はもう、夕暮れでした。とぼとぼと帰るカネトを待っていたのはおじいさんのモノクテでした。
「学校を逃げ出してどこに行っていたんだ」
「おじいちゃん」
「シャモの子に馬鹿にされて逃げ出すとは情けないやろうだ。
わしをシャモだと思って向かってこい!」
「ワァー!!」
アイヌの守り神のシマフクロウが、モノクテにはね飛ばされても、何度も何度もぶつかっていくカネトを、じっと見ていました。 -
カネトは学校を卒業すると、測量見習いとして鉄道の仕事に就きました。 夢を叶えたのです。
行く手を原生林がはばむ中、どんな足場の悪い所でも勇敢に進んでいきました。
けれどカネトの日給は15銭、シャモは25銭。
……アイヌだからと言う理由でたくさんの悔しさを味わったカネトでしたが、勉強に勉強を重ね、 測量技手の試験に合格し、北海道の鉄道建設の先頭に立つようになりました。
そんなカネトに、三信鉄道から測量の依頼が来ました。三信鉄道とは、現在の「JR飯田線」中部の前身です。 -
それまで、辰野から天竜峡をつないだ伊那電気鉄道、吉田(現在の豊橋)から長篠(現在の大海)を結ぶ豊川鉄道、長篠から三河川合までの鳳来寺鉄道は出来ていましたが、三河川合から天竜峡までの三信鉄道はポッカリ穴が空いたままでした。三信鉄道は、伊那電気鉄道・豊川鉄道・鳳来寺鉄道の3つの鉄道を一つに結び、三河の吉田と信州の辰野までの南北をつなぐ目的を持っていました。
最後に残された、三河川合から天竜峡までの67キロの鉄道建設は、鉄道関係者ならびに地元住民の悲願でした。
〜岩盤はもろく、荒れ狂う天竜川〜誰もがしり込みしてしまうほど難しい仕事です。 -
カネトはアイヌの仲間に呼びかけて 7人の測量隊を結成し信州に出発しました。
その中には金次郎、カネトの奥さんのトネさん、娘のかなちゃんもいました。
「これが天竜峡か!」 切り立つ崖を見下ろして、カネトは思わず息を飲み込みました。
「どうやって資材を運ぶんだ!歩けそうな道なんてどこにもない!いったいどうやって測量したらいいんだ」
その時です。はるか真下の天竜川を、一艘の川船が、矢のようなはやさでくだっていきました。 -
「そうだ!天竜の人たちがいるじゃないか!あんな激流を、たった竿一本で船を操って進む人がいるんだ。 立派にやり遂げてみせるぞ」
そう心に誓ったカネトでしたが厳しい自然にはばまれ測量は一進一退でした。
「ワー!助けてくれ!」
雪に足を取られ、仲間が足を滑らせました。 命綱のおかげで、かろうじて岩にぶら下がっています。 真下は断崖絶壁で落ちたら命はありません。
「命綱が岩でこすれて切れそうだ!ゆっくり、ゆっくり……」「助かった!」
こんな事だけではありません。天竜峡谷は野生の王国そのもので、 カネト達はいのししやマムシ、蜂の急襲にあったりしました。 -
「あっ!タヌキ!」
測量隊が仕事を終えて、宿舎に戻ると、一匹の子ダヌキが迷い込んでいました。
「タヌキだ!つかまえて!」「よし!そっちだ!あっ!こっちだ!こっち!」
やっとみんなで捕まえた子ダヌキはポン太と名付けられました。
「かなちゃん、ポン太はうまいタヌキ汁になるよ」「だめ!ポン太は私の大切なともだち!」
ポン太はひとりぼっちだったかなちゃんの、良い遊び相手になりました。
けれど、雨の日が何日も続いたある日、ポン太の姿がぷっつりと見えなくなってしまいました。
ポン太はどこに行ってしまったのでしょう。 -
天竜峡に来て2年と数ヶ月、測量はついに完了しました。
これでアイヌ測量隊は古里へ帰れるのです。
「さあ、みんな踊ろう!」
みんな嬉しくて、輪になって踊り始めました。
アラハオー ホイヤー イヤハオー ホイヤ……
トネさんもかなちゃんも久しぶりに着るアイヌの衣装です。
みんなの顔が輝いていました。 -
そこへ、工事担当の責任者、木本さんがやってきました。
「カネトさん、お願いがあります。」
「なんでしょう」
「測量は終わりましたが、引き続き線路工事の現場監督を引き受けてくれませんか?天竜峡から門島間8.3キロの工事はとても難しく、危険な工事です。けれど、カネトさんならきっとやれる。」
「……分かりました。引き受けましょう。頼まれた以上、必ずやり遂げて見せます。」
「だが、現場監督は大勢の作業員たちを指揮しなければならない。アイヌの私に作業員達が素直に従ってくれるだろうか……」 -
ガー!ダッダッダッダッダッー
削岩機の音が山にけたたましくこだまします。
台風で天竜川の水があふれ、土台ごと線路が流されてしまうこともありました。
「このままでやり遂げることが出来るだろうか」
カネトは焦り、作業員達もいらだっていました。
「水だぁ!トンネルから水が出たぞ!」
トンネルの天井から水が出て、手がつけられないほどです。 -
「まったくもう!こんな工事やってられねえ!アイヌ野郎にこき使われるのはもうまっぴらだ!」
不意に、荒くれ男が丸太でカネトに殴りかかりました。
「どうせ壁をコンクリートでまくんだ!こいつも一緒に埋めてしまえ!」
カネトは男達に、穴の中に放り込まれ、土砂で埋められてゆきます。土砂をかけるスコップの音だけがガチャガチャと響きます。
「聞いてくれ!俺は、北海道にいるときも、ここに来てからも、この仕事に誇りを持って生きてきた。人間は姿、形でいきるのではない!おまえ達の夢や希望や、人間の誇りはどこにあるんだ!俺をアイヌとさげすむおまえ達は、何をしてきたんだ!アイヌを殺すことが、おまえ達の誇りだというなら、さあ早く、コンクリートをこの穴にぶち込むがいい!」 -
「カネトさん!大丈夫か!」
カネトの動じない姿に、荒くれ男達の手が止まったその時、工事責任者の木本さんが飛び込んできました。
カネトが穴から助け出されると、みんなから歓声がわきおこりました。
この事件で、ただひたすら自分の信念を語り続けたカネトに、荒くれ男達の態度もすっかり変わり、みんなで力を合わせて工事を進めていきました。 -
こうして、工事をはじめて3年後、天竜峡から門島間は見事に開通し、その5年後、飯田線は全線開通しました。
今も飯田線は、地域の足となり、谷あいをぬって走ります。