ともに生きる明日コンサート 合唱劇「カネト」 豊橋・豊川公演

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第1部 アイヌの民俗芸能・講演

弓の舞:川村兼一・川村久恵
ムックリ解説と演奏
ムックルまたはムックリといいます。北海道の竹と木綿糸でできていて、クマの鳴き声や川の流れを表します。(ムックリと同じ仲間の口琴という楽器は世界中にあります。)

講演:川村兼一
この愛知県で先週に続き父カネトの合唱劇が行われます。先週(豊橋で)初めてめて見ましたが非常に感激しました。
父が測量技師になった時代背景を少し話をします。
今、アイヌは北海道に約10万人います。関東には1万人います。サハリンには300人ほどいます。アイヌは現在はほとんど皆さんと同じ生活をしていますが、食物・宗教観は昔ながらのものが残っています。
江戸時代までは東京以北にはほとんどアイヌが住んでいました。(約50万人)
江戸時代に北海道に松前藩が置かれ、明治2年に北海道という名前が付けられました。
それまではアイヌモシリと呼ばれていました。アイヌ=人間 モ=静かな シリ=大地 人間の住む静かな大地という意味です。

国境などというものはなかったので、サハリン・千島列島・本州などに船で自由に行き来していたロシア・中国などと交易していたため、祭の時は龍の刺繍をした着物・ピアス・ブレスレット・ネックレスなどでで派手な衣装で参列していました。
川村家の先祖は旭川--石狩川(アイヌ語で美しくつくられた川)のほとり--に村を作っていました。各村にはコタンコロクルという長老(むらおさ)がいて、コタンコロクルになるには雄弁家で(何かあったときに相手を論破する、負けた相手は贈り物をする)勇気があって(平和的な民族だが狩猟のテリトリーを犯された場合には戦争も何度かありました)男前で、手先が器用(狩猟・漁猟・山菜とりなどで暮らしており獲物で交易していた。狩猟の道具を作らなくてはならりませんでした)という4つの条件が必要でした。
名ハンターで、大工で猟師で船乗りがちゃんとできて、はじめて一人前のアイヌと男として認められました。

アイヌは文字を持ちませんでしたが、ユーカラという語り部が昔のことを全て伝えていました。大正のはじめ金田一京助さんが旭川にやってきてユーカラを研究し、知里幸恵さんを東京に連れ帰りました。ユーカラをぜひ残したいと 文字を持たなかったユーカラを文学としてはじめて出版され、日本中に知られるようになりました。
明治2年、明治政府は北海道には「主がいない」ということで一方的に植民地にしました。
過去、アイヌ民族と松前藩は3度の戦争がありましたが、戦争を避けるために同化政策をとり、アイヌ語の禁止、葬式・結婚式禁止、狩猟・鮭漁禁止、女性のいれずみ禁止、男性のピアス禁止のほか、土人学校を作り日本語を強要したため、明治以降100年以上アイヌ語が使えない時代が続きました。

明治の終わりに旧土人保護法ができて、農業をするなら土地を5町歩(15000坪)貸し与えるから開墾して10年以内に収穫をあげなさいという法律ができましたが、もともと農業が得意でなかったのでことごとく失敗しました。
明治26年に生まれの父(カネト氏)は農業はできないと鉄道の人夫になりました。アイヌは人一倍働きましたが賃金が安いので測量技師になりました。(アイヌの測量技師は4人いました)技師として北海道・樺太のほか飯田線を長野県から愛知県まで測量しました。
昭和の5年、1ヶ月の給料は130円(現在の150万円くらい)でしたが、それなりに厳しい仕事でした。
飯田線の測量が終わってからは、今の平壌(ピョンヤン)で測量を続け、アイヌ記念館の館長だった祖父が亡くなった昭和18年に日本に帰り、旭川で記念館を引き継ぎ、その後私(兼一氏)が3代目として引き継いでいます。

当時、アイヌの価値観、宗教観が禁止され同化がすすめられ、いろんな差別もありましたが、努力を重ね1987年、旧土人保護法が廃止になりアイヌ文化振興法(アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律)ができました。
100年間アイヌ語の使用が禁止されていましたが、アイヌ語を勉強したりアイヌ文化を体験したいと思ったり交流をしたいと思ったらアイヌ文化振興財団に申請すれば助成が受けられる時代になりました。
アイヌ語は使用が禁止された100年間もこっそりと伝えられていました。旭川にはユーカラの音声テープが残っており、それを聞きながら私たちはアイヌの言葉、アイヌの儀式を取り戻そうとしています。

アイヌにはイヨマンテと呼ばれる熊送りの儀式があります。ヒグマだけでなく、シマフクロウ、キツネ、タヌキなど動物の魂を送ります。海岸に行くとクジラやカジキマグロのを送ることがあります。こういう儀式を最近復活させています。今、北海道アイヌは東京に一万人程おり、東京にはアイヌ料理店もあります。
若いアイヌの人たちも昔の文化を取り戻そうとして勉強しています。この劇(合唱劇「カネト」)を見て、かつてのアイヌの苦難の時代を理解してもらいたい。
原作本「カネト--炎のアイヌ魂」は北海道では英語の副読本として教科書に載っていおり、中高生は父が測量をした時代のことを英語を通して勉強しているという時代になりました。
アイヌのことをこれで少しは理解してもらえたと思いますが、私もひじょうに感激したこの劇を、皆さんもどうぞごゆっくり鑑賞してください。ますますアイヌのことを理解していただきたいと思います。どうもありがとうございました。
これからの「第2部・合唱劇カネト」も存分にお楽しみください。


2000/11/19 合唱劇「カネト」 豊川公演(豊川市文化会館) 第一部の音声データを元に文章化しました。文中の意味を変えぬまま、文法や接続詞を中心に多少加筆しています。


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